センター後、京大二次試験に向けて私は死ぬ気で勉強していた。この時期ほどひとつの事に集中していたことは、19年間の生涯の中で一瞬たりともなかったような気がする。
まず最初は早稲田大学法学部センター利用入試だ。試験科目は小論文のみ。私は現代文が得意ではあったが、今まで一度も小論文対策等はやったことがなかったので、かなり不安だった。
本番三日前になって、はじめて小論文の参考書を見た。本屋にたくさん並んでいた樋口氏の参考書のひとつを本屋で立ち読みしたのだ。その参考書はAmazon等の評価は賛否両論が出ていたが、提示されていた明確な方法論が私にはぐっときた。というのも、私は小論文入試自体をものすごくなめていたからである。誤解を招いたかもしれない。しかし、樋口氏の方法論に対する「陳腐でありきたりのものであり、採点官はこの論理展開の平凡さに飽きている」というような反論は、受験生のレベルをいささか買いかぶりすぎではなかろうか。私を含めてたかだか18前後のガキ達のほとんどは奇抜な発想はおろか、
まともな論理展開 など書けるはずがない(と私は思う)。樋口氏のやり方で上級とはいかなくても、まともな論理展開をかけるようになれば、それは合格を意味するのではなかろうか?
少々話が脱線した。要するに、いろいろ言い訳を作って、他に時事知識や補足知識は全く勉強せずに、ただ樋口氏の論理展開だけを頭にたたきこんで本番を迎えたのだ。
早稲田の入試が何月何日だったかなんて忘れてしまった。そのくらい早稲田入試に対する緊張はなかったらしい。別に滑り止めだったからではない。
確固たる自信 があったのだ。八月までの自分ならば、「早稲田大学生は皆頭が良くて、小論文もきっとすばらしいものを書くに違いない」と信じて疑わなかっただろう。しかし、今は違う。自分が必死に勉強してそういう奴らと肩を並べつつある今は違う。いくら偏差値が少々高くても、自分自身の実力がすごいとは全く思わない。カンタンなことがなんとかできるに過ぎないのだ。たった三日間とはいえ、樋口式小論文の論理展開だけとはいえ、小論文における
カンタンなこと は何とかマスターした。絶対に受かる、いや受かるはずだ!
東西線早稲田駅を降りて、試験会場へ向かう。迷いはない。自分の席について三日間必死に勉強した参考書の最後の確認をする。問題と解答用紙が配られる。もうやるしかない・・・試験は静かに開始した。
センターと同じく、一回大きく深呼吸をして、ゆっくり問題冊子を開く。緊張はない。必死に解答するだけだ。
問題文自体はかなり難しかった。確か、テロとか全体主義とかを題材にした社会論だったと思う。問題文自体の理解度はせいぜい10%といったところ。ほぼ全く理解できなかったに等しい。まあ、運よく問題文の要約自体は指示されていなかったので、全体の要約は早々に切り上げて、それに対する反論を形成して自分自身の意見に仕上げていくことにした。イスラム教徒の大学院生(しかも、MITの物理専攻の秀才という設定)とMailのやり取りをしているとかいう大胆不敵なウソを、自分自身の経験として書いて字数を稼ぎつつ、作者の意見と全く反対の意見を何とかごまかしつつ作り上げたところで、きっかり時間は終了した。
文を推敲する時間がなかったため、不本意といえば不本意だったが、もうそんなことは考えても仕方がない。もうすぐそこに国際教養学部の試験が待ち構えているのだ。さっそく、帰りの電車の中で暗記カードをめくって次の試練に備えた。もちろん、気にしても仕方はないと思っても、どうしても試験の出来を気にしてはしまう。だが、行動だけは影響されてはいけない。気にはしていても、それに打ち勝ち、アクションを起こさねばならないのだ。
前へ。
前から読んでいくだけでしたか?
志望校は大阪外国語大学で2次が英語(250点)と小論文(50点)なので
小論文にも今からある程度勉強時間を割こうと思っていますし、
センター後から2次までの約1ヶ月間もある程度はやるつもりです。
宜しくお願いします。