Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://jukennavi.blog13.fc2.com/tb.php/489-0f37d9db

-件のトラックバック

-件のコメント

[C7329]

>単純にそういう優秀な人材が教育機関に配分されていないだけだと思います

ちょっと事実誤認があるかと。教師の方はすんごくペーパーできますよ。そりゃ何十年も同じ科目やってますから、半端なくできます。
  • 2009-03-28
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7324]

>教師は皆いいひとばかりだ。本当に。ただ、議論ができるような存在ではないのだ。

教師という職業を見下すわけではありませんが、単純にそういう優秀な人材が教育機関に配分されていないだけだと思います(そうしたことに長けた人材は教師という職業に敢えて就かず、教育以外のフィールドに流れていくので)。勿論そういうことに耐える教師も一定数存在するとは思います。修士博士課程を終わって職業を探した挙句、結局教員になった人とかはそういうことに関してはある程度優秀なのではないでしょうか(こうした人々は一応研究者を目指していたわけですから)。

>学校が教えるべきものには、(単純にペーパーとしての)学力と、(議論力や論理的思考能力などの)能力の二種類があると思っていて

前者は後者の土台だと思います。前者がなければ後者は成立しえません。大半の推論は既知情報を基にした基本的な小さな推論(パターン)の組み合わせに過ぎないからです(例えば数学は定理の組み合わせで解ける)。思考力の有無とはそうしたツールをいかに使いこなせるかであると同時に、いかに多くのツールを持っているかということになると思います(そうした推論パターンに拠らずに世の中で起きている複雑な現象に関して推論し、説明を試みるのは不可能だと思われます)。中等教育に於ける数学理科社会の教育は、ある体系の中で知識を有機的に結びつけ(つまり知識間に論理的関係を見出し)、そこから推論を行うという論理的思考能力を養うたたき台としての機能が本来的には備わっているのでしょう。まあそれが教員あるいは生徒の間で了解されているかはかなり微妙だと思いますが。
  • 2009-03-27
  • 受験生
  • URL
  • 編集

[C7320]

>これってまさに「ゆとり教育」の目指す理念なのではないでしょうか。

僕は別にゆとり教育反対じゃないですよ。ま、本来の意味でのゆとりならば、ですけれども。
  • 2009-03-26
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7318]

>「学校」の存在意義は「成績UP」「試験突破」にはない。そんなこと、自分でできるし、自分ですべき。学校は、もっと本質的な・多面的な・曖昧な目的、「生徒の人間としての成長」のために存在すべきである。

これってまさに「ゆとり教育」の目指す理念なのではないでしょうか。
「ゆとり教育」がこれほど批判され、各国別テストの順位に異常なまでに執着している現在の状況を見るに、高校教育を変えるという意識だけでは管理人さんの目的はまず達成できないでしょうね。社会全体の意識を変えないと。
  • 2009-03-26
  • ゆとり世代
  • URL
  • 編集

[C7179]

高校を中退する事は考えなかったのですか?

いえ。学校はまあ楽しかったですからね。友達は大好きでしたし。
  • 2009-03-10
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7167]

高校を中退する事は考えなかったのですか?
  • 2009-03-10
  • ts
  • URL
  • 編集

[C7157]

>G戦士さんって口喧嘩強そうですね

そういえば長年口げんかしてないですねー。大体、あっさり譲ってしまって終わります。

口喧嘩で勝ってもいいこたないですからね。いつでも相手にわずかに勝ったと思わせるほうがいいですよ。
  • 2009-03-09
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7151] うー

G戦士さんって口喧嘩強そうですね

[C7148]

フレリアさん

まあ工業が大きな付加価値を生んだ時代であれば機能する教育なんでしょうがね。
  • 2009-03-08
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7147]

>通りすがりのバカやろう

規律訓練するための場所だといいたいのでしょうか? フーコーの読みすぎでしょうw
  • 2009-03-08
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7140]

僕もG戦士さんと同じ思いをしました
尊敬できる先生なんて僕にはいませんよ
社会勉強=学校の勉強なんですかね?
難しいです

  • 2009-03-07
  • フレリア
  • URL
  • 編集

[C7138]

学校の先生の存在ってでもそういうもんでしょう
逆に学校の先生が社会的だったら学校の存在自体が
疑われる。
G戦士さんはなぜ学校に校門が存在するのか考えたことがあるでしょーか
  • 2009-03-06
  • 通りすがりのバカやろう
  • URL
  • 編集

[C7130]

>だから日本の教育が変わるよう文部科学省や政治家にがんばってもらいたいというのが私の意見です。

そうですね。理想をいえば、トップダウンで変わるのが早いし効果的だとは思います。

ただ、絶対に起こらないと思うのですね。先生や官僚側に変えるインセンティブが全くないと思うので。まともな能力がない先生は首にするor担任にさせないくらいの痛みを伴う改革は必要不可欠ですが、絶対に認められないと思うのですね。
  • 2009-03-05
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7129]

>学力と道徳のどちらが大切なのか
僕は道徳だと思いますが
それは家庭で養ってもらうべきものではないのでしょうか

同意します。道徳っていう言葉はなんとなくうさんくさいですよね。

ぼくは、学校が教えるべきものには、(単純にペーパーとしての)学力と、(議論力や論理的思考能力などの)能力の二種類があると思っていて、 後者の重要性を主張しています。
  • 2009-03-05
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7128]

私の高校時代の友達は先生に「自分で勉強したい。」と打ち明けたところ「お前失敗するぞ。そうやって成功した生徒は見たことがない。」と言われていました。
私は自分で考え勉強しその結果成功することができましたが、この発言を全否定することはできません。なぜなら自分で勉強するのはそれほど簡単なわけではないからです。

ほとんどの受験生はそれぞれ自分なりに考えてはいるものの、結局あの講師がいい、あの参考書がいいというレベルの考えで終わっていて、単発的でありG戦士さんのおっしゃるようなアウトラインの重要性(段階の重要性)を理解している人は少ないです。自分で勉強するとしてこのような生半可な考えしかできないなら失敗してしまうでしょう。こういう生徒を見てきたために先ほどの教師はああいう発言をしたのでしょう。

ただ、さきほどの教師に言いたいのは、あなた方についていったら成功できるという保証はあるのか?というところです。学校の勉強でつまずいてしまっている場合、そのままの勉強を続けても学力を向上させることは難しいでしょう。そうなったときに、よく考えた上で自分で勉強するならば状況を打破することもできます。たしかに自分で勉強するのは難しく失敗してしまう人もいるというのは事実かもしれませんが、よく考えて自分で勉強するならば確実に学力が向上するというのも事実なんです。実際、それで成功する人は多く、そういう人のためにこのBLOGが存在するんだと思います。

でも私が言いたいのはそれだけ真剣になれる受験生がどれだけいるのだろうかという点です。ただ勉強するだけじゃなしに作戦まで考えるなんて普通の高校生からするととっても大変なことなんです。G戦士さんは“頭をフル回転させて”とおっしゃっていましたがそれくらい創意工夫するのは勉強するのよりよっぽど頭を使いますよね。私は皆がそれだけ熱心にはできないと思います(もちろんこのBLOGを見に来るような人はそれだけのことをしている人が多いと思います)。つまり大勢の生徒の意識を変えていくのは凄く難しいと思います。

だから生徒全体のことを考えたときに高校の教育は人間的に成長させるのも当然重要だとは思いますが、もっと効果的なものに変わってほしいんです。やっぱり学校の課題を真面目にやっているような人が損をして私のような斜めに見ているような人間が得するというのは悪い気がしますし。だから日本の教育が変わるよう文部科学省や政治家にがんばってもらいたいというのが私の意見です。もちろん学校の教育が変わっても自分で考え創意工夫することの重要性は変わりませんが。
  • 2009-03-05
  • yuji
  • URL
  • 編集

[C7127]

G戦士さんは勉強できるとは違う次元で頭がいいと思う
考える力は人一倍あるでしょ

[C7125]

はじめてコメントします

僕も全く同じ考えです
中学の社会の先生が生徒を怒るとき必ずといっていいほど社会の~…と言ってました
適当に聞き流してましたけど

本当の社会ってなんですか
先生の語る社会と親父の語る社会ではなんというか、「汚さ」に違いを感じます
教師をバカにしているわけではありませんが、本当の社会を知っている親父の話の方が現実味があります

本当の教育ってなんだろうと考えたときに
学力と道徳のどちらが大切なのか
僕は道徳だと思いますが
それは家庭で養ってもらうべきものではないのでしょうか
  • 2009-03-05
  • トップ
  • URL
  • 編集

[C7124]

>「生徒の人間としての成長」という目標に向けて学校と言う組織をどう運営すべきか、つまり教育の内容、方法、評価をどうすべきとお考えでしょう?

反則的な答えですが、具体的な内容については、教育学の専門家が既に明快な解を持っていると思います。

問題は、答えがあるにもかかわらず、それを実行に移せないことにあるのだと思います。いくら専門家が「こんなにすばらしいメソッドがあるよ!」と訴えても、「え?それで東大合格者ふえるの?」と言われればそれまでだというのが現状ではないでしょうか。


>先生になんと言われようとこれからも卒業するまで先生に耳を貸さないつもりです。

過激派ですね(笑) 少なくとも耳を貸すフリはしといたほうが無難ではないかと。円満にやるのが一番ですよw


>真に社会を知っているのはサラリーマンだけですか?

そんなことはありません。誰しもが自分の経験によって歪曲された形でしか「社会」を捉えることはできていないと思います。

問題は、官僚や大学教授などと異なり、中高の教師はあらゆる種類の人々を育てる必要があるということです。理系の研究者を育てるならば、たとえ世間を知らずともその専門に秀でた人が適任でしょうが、学校の先生はそうは問屋がおろしません。ありとあらゆる職業のなかでもひときわ教師は「広く社会を知るべき職業」ではないでしょうか?


>学校の先生の中には、職に就いた時点で「先生」
と呼ばれているので、なんだか自分が偉い人になった
気分になって、生徒を、下手すると親まで見下すような輩までいます。

残念ながらいますね、そういう方は。そして私の経験に寄れば、そういう方を矯正するシステムはないので、定年までずっとそのままです。これは本当に問題だと思いますね。
  • 2009-03-04
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7123]

文章を書くと分かるけども、
まず結論(目標地点)を明確にしてから書き始めないとひどい事になる。
これはあらゆる事に言える事で、まず目的をはっきりしてからじゃないと、
必要な情報、必要な行動、必要な評価もはっきりしない。
そう考えると、「成績UP」「試験突破」という明確な目標と比べ、
「生徒の人間としての成長」という曖昧な目標だと、どう教育をしていくか、
それをどういう基準で評価していくのかがいまいち分からない。

G戦士さんは、もし教育界が目的通り変わったとして、
「生徒の人間としての成長」という目標に向けて学校と言う組織をどう運営すべきか、つまり教育の内容、方法、評価をどうすべきとお考えでしょう?

[C7122] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C7121]

はじめまして。

僕は高1のときから、学校の授業を聞きませんでしたし未だに開いたことのない教科書もあります。先生に本気で切れられたことも、学年主任の先生に呼び出されて特別面談をさせらたこともあります。しかし、先生になんと言われようとこれからも卒業するまで先生に耳を貸さないつもりです。
そして、来年には絶対難関大学に受かって高校教育は改善されるべきなのだと気づかせます!!

G戦士さん、
ありがとう

  • 2009-03-04
  • ダギ
  • URL
  • 編集

[C7120]

真に社会を知っているのはサラリーマンだけですか?

[C7118]

学校の先生が、外の世界を知らないというのは、
その通りだと思います。
学校の先生の中には、職に就いた時点で「先生」
と呼ばれているので、なんだか自分が偉い人になった
気分になって、生徒を、下手すると親まで見下すような輩までいます。(極一部ですが)
  • 2009-03-04
  • 現役高校生
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

投稿フォーム

投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

存在意義再考

 ぼくは学校の先生を人間として尊敬したことがほとんどない。今まで出会った先生の中で尊敬できたひとはたったのふたりである。小学時代の先生2名のみだ。

 小学生の時はよかった。ぼくは全く勉強ができなかったが、小学時代はそんなことで評価はされなかった。ぼくはとても明るいクラスの盛り上げ役で、学校全体をまとめる役割なんかもこなした。美術や書道も大の得意だった。自分で言うのもなんだが、勉強以外は何でもよくできた。先生からもよく褒められていた。

 しかし中学に入って変わった。成績を上げることが先生の一番おおきな関心事になった。ぼくは先生から疎まれ始めた。成績が悪いことをちっとも気にしないぼくは、変な価値観を周りに広める危険分子とみなされたからだ。
 ぼくは、教師たちに幻滅した。彼らを人間として尊敬することをやめた。少し抵抗はしたものの、やがて彼らに一切の本音をいうことをやめた。表面上、「はい、わかりました」とだけ言うようになった。



 教師は皆いいひとばかりだ。本当に。ただ、議論ができるような存在ではないのだ。そもそも議論という言葉が彼らの辞書にはない(生徒には何かを教えるだけでいいと思っている)のは別にしても、結論を変える気のない相手と議論するのは不毛なことだからだ。いくら先生と議論しても、彼らの姿勢を変えること――成績主義的な価値観を曲げさせること――は不可能だ。
 ぼくが先生を論破したとき、彼らは決まってこう言った。
「そんなこと、社会では通じない」
 ぼくは思った。
「あなたは社会に出たことがない人だろう」

 学校が職場というのはある意味、異常である。先生は一度も社会に出たことがないのだ。また、外と触れる機会はほとんどない。毎日触れあうのは、自分よりもずっと年下・格下の生徒達だ。こんな環境で、多様な価値観が生まれるはずがない。10年くらい学校の教師をしていたら、価値観は完全に固まってしまう。そんな彼らに本音を漏らしても意味はないのだ。


   ……なぜこんなことを書いたのか? それはこのBlogの存在意義をはっきりさせるためである。
 受験勉強法Blogは、ただ先生の言うことを聞いてきた優等生のためには存在しない。他人の意見を素直に受け止めながらも、その確かさを疑い、自分の頭でやるべきことを考える。そんな生徒を作り出すために存在する。
 大げさなことを言えば、私をBlog執筆に突き動かしているのは、「高校生の意識を変えることを通じて、日本の学校教育に一石を投じたい」という思いなのである。

 昨今、日本の学校教育の杜撰さが指摘され、早急に教育を改革する必要性が訴えられている。しかし私は日本の教育の現場は「教師から」変わることは絶対にありえないと思っている。何十年も閉鎖空間で生きてきた彼らは変わらない。かといって、教師しかできない彼らを首にすることもできない。
 変わりうるとすれば、ひとりひとりの「生徒」からなのだ。生徒ひとりひとりの意識からなのだ。

 日本の高校教育の目標は明らかに「難関大学合格」である。ならば、高校教育に頼らずとも難関大学に合格できること、それも大勢の生徒が可能であることを証明してやろう。それが達成できたときに、既存の高校教育、旧来タイプの教師達の存在意義はゆらぎはじめるだろう。

 少々、議論がわかりにくくなった。最後に本Blogの主張をシンプルに表現したい。

「学校」の存在意義は「成績UP」「試験突破」にはない。そんなこと、自分でできるし、自分ですべき。学校は、もっと本質的な・多面的な・曖昧な目的、「生徒の人間としての成長」のために存在すべきである。

この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://jukennavi.blog13.fc2.com/tb.php/489-0f37d9db

0件のトラックバック

23件のコメント

[C7329]

>単純にそういう優秀な人材が教育機関に配分されていないだけだと思います

ちょっと事実誤認があるかと。教師の方はすんごくペーパーできますよ。そりゃ何十年も同じ科目やってますから、半端なくできます。
  • 2009-03-28
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7324]

>教師は皆いいひとばかりだ。本当に。ただ、議論ができるような存在ではないのだ。

教師という職業を見下すわけではありませんが、単純にそういう優秀な人材が教育機関に配分されていないだけだと思います(そうしたことに長けた人材は教師という職業に敢えて就かず、教育以外のフィールドに流れていくので)。勿論そういうことに耐える教師も一定数存在するとは思います。修士博士課程を終わって職業を探した挙句、結局教員になった人とかはそういうことに関してはある程度優秀なのではないでしょうか(こうした人々は一応研究者を目指していたわけですから)。

>学校が教えるべきものには、(単純にペーパーとしての)学力と、(議論力や論理的思考能力などの)能力の二種類があると思っていて

前者は後者の土台だと思います。前者がなければ後者は成立しえません。大半の推論は既知情報を基にした基本的な小さな推論(パターン)の組み合わせに過ぎないからです(例えば数学は定理の組み合わせで解ける)。思考力の有無とはそうしたツールをいかに使いこなせるかであると同時に、いかに多くのツールを持っているかということになると思います(そうした推論パターンに拠らずに世の中で起きている複雑な現象に関して推論し、説明を試みるのは不可能だと思われます)。中等教育に於ける数学理科社会の教育は、ある体系の中で知識を有機的に結びつけ(つまり知識間に論理的関係を見出し)、そこから推論を行うという論理的思考能力を養うたたき台としての機能が本来的には備わっているのでしょう。まあそれが教員あるいは生徒の間で了解されているかはかなり微妙だと思いますが。
  • 2009-03-27
  • 受験生
  • URL
  • 編集

[C7320]

>これってまさに「ゆとり教育」の目指す理念なのではないでしょうか。

僕は別にゆとり教育反対じゃないですよ。ま、本来の意味でのゆとりならば、ですけれども。
  • 2009-03-26
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7318]

>「学校」の存在意義は「成績UP」「試験突破」にはない。そんなこと、自分でできるし、自分ですべき。学校は、もっと本質的な・多面的な・曖昧な目的、「生徒の人間としての成長」のために存在すべきである。

これってまさに「ゆとり教育」の目指す理念なのではないでしょうか。
「ゆとり教育」がこれほど批判され、各国別テストの順位に異常なまでに執着している現在の状況を見るに、高校教育を変えるという意識だけでは管理人さんの目的はまず達成できないでしょうね。社会全体の意識を変えないと。
  • 2009-03-26
  • ゆとり世代
  • URL
  • 編集

[C7179]

高校を中退する事は考えなかったのですか?

いえ。学校はまあ楽しかったですからね。友達は大好きでしたし。
  • 2009-03-10
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7167]

高校を中退する事は考えなかったのですか?
  • 2009-03-10
  • ts
  • URL
  • 編集

[C7157]

>G戦士さんって口喧嘩強そうですね

そういえば長年口げんかしてないですねー。大体、あっさり譲ってしまって終わります。

口喧嘩で勝ってもいいこたないですからね。いつでも相手にわずかに勝ったと思わせるほうがいいですよ。
  • 2009-03-09
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7151] うー

G戦士さんって口喧嘩強そうですね

[C7148]

フレリアさん

まあ工業が大きな付加価値を生んだ時代であれば機能する教育なんでしょうがね。
  • 2009-03-08
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7147]

>通りすがりのバカやろう

規律訓練するための場所だといいたいのでしょうか? フーコーの読みすぎでしょうw
  • 2009-03-08
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7140]

僕もG戦士さんと同じ思いをしました
尊敬できる先生なんて僕にはいませんよ
社会勉強=学校の勉強なんですかね?
難しいです

  • 2009-03-07
  • フレリア
  • URL
  • 編集

[C7138]

学校の先生の存在ってでもそういうもんでしょう
逆に学校の先生が社会的だったら学校の存在自体が
疑われる。
G戦士さんはなぜ学校に校門が存在するのか考えたことがあるでしょーか
  • 2009-03-06
  • 通りすがりのバカやろう
  • URL
  • 編集

[C7130]

>だから日本の教育が変わるよう文部科学省や政治家にがんばってもらいたいというのが私の意見です。

そうですね。理想をいえば、トップダウンで変わるのが早いし効果的だとは思います。

ただ、絶対に起こらないと思うのですね。先生や官僚側に変えるインセンティブが全くないと思うので。まともな能力がない先生は首にするor担任にさせないくらいの痛みを伴う改革は必要不可欠ですが、絶対に認められないと思うのですね。
  • 2009-03-05
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7129]

>学力と道徳のどちらが大切なのか
僕は道徳だと思いますが
それは家庭で養ってもらうべきものではないのでしょうか

同意します。道徳っていう言葉はなんとなくうさんくさいですよね。

ぼくは、学校が教えるべきものには、(単純にペーパーとしての)学力と、(議論力や論理的思考能力などの)能力の二種類があると思っていて、 後者の重要性を主張しています。
  • 2009-03-05
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7128]

私の高校時代の友達は先生に「自分で勉強したい。」と打ち明けたところ「お前失敗するぞ。そうやって成功した生徒は見たことがない。」と言われていました。
私は自分で考え勉強しその結果成功することができましたが、この発言を全否定することはできません。なぜなら自分で勉強するのはそれほど簡単なわけではないからです。

ほとんどの受験生はそれぞれ自分なりに考えてはいるものの、結局あの講師がいい、あの参考書がいいというレベルの考えで終わっていて、単発的でありG戦士さんのおっしゃるようなアウトラインの重要性(段階の重要性)を理解している人は少ないです。自分で勉強するとしてこのような生半可な考えしかできないなら失敗してしまうでしょう。こういう生徒を見てきたために先ほどの教師はああいう発言をしたのでしょう。

ただ、さきほどの教師に言いたいのは、あなた方についていったら成功できるという保証はあるのか?というところです。学校の勉強でつまずいてしまっている場合、そのままの勉強を続けても学力を向上させることは難しいでしょう。そうなったときに、よく考えた上で自分で勉強するならば状況を打破することもできます。たしかに自分で勉強するのは難しく失敗してしまう人もいるというのは事実かもしれませんが、よく考えて自分で勉強するならば確実に学力が向上するというのも事実なんです。実際、それで成功する人は多く、そういう人のためにこのBLOGが存在するんだと思います。

でも私が言いたいのはそれだけ真剣になれる受験生がどれだけいるのだろうかという点です。ただ勉強するだけじゃなしに作戦まで考えるなんて普通の高校生からするととっても大変なことなんです。G戦士さんは“頭をフル回転させて”とおっしゃっていましたがそれくらい創意工夫するのは勉強するのよりよっぽど頭を使いますよね。私は皆がそれだけ熱心にはできないと思います(もちろんこのBLOGを見に来るような人はそれだけのことをしている人が多いと思います)。つまり大勢の生徒の意識を変えていくのは凄く難しいと思います。

だから生徒全体のことを考えたときに高校の教育は人間的に成長させるのも当然重要だとは思いますが、もっと効果的なものに変わってほしいんです。やっぱり学校の課題を真面目にやっているような人が損をして私のような斜めに見ているような人間が得するというのは悪い気がしますし。だから日本の教育が変わるよう文部科学省や政治家にがんばってもらいたいというのが私の意見です。もちろん学校の教育が変わっても自分で考え創意工夫することの重要性は変わりませんが。
  • 2009-03-05
  • yuji
  • URL
  • 編集

[C7127]

G戦士さんは勉強できるとは違う次元で頭がいいと思う
考える力は人一倍あるでしょ

[C7125]

はじめてコメントします

僕も全く同じ考えです
中学の社会の先生が生徒を怒るとき必ずといっていいほど社会の~…と言ってました
適当に聞き流してましたけど

本当の社会ってなんですか
先生の語る社会と親父の語る社会ではなんというか、「汚さ」に違いを感じます
教師をバカにしているわけではありませんが、本当の社会を知っている親父の話の方が現実味があります

本当の教育ってなんだろうと考えたときに
学力と道徳のどちらが大切なのか
僕は道徳だと思いますが
それは家庭で養ってもらうべきものではないのでしょうか
  • 2009-03-05
  • トップ
  • URL
  • 編集

[C7124]

>「生徒の人間としての成長」という目標に向けて学校と言う組織をどう運営すべきか、つまり教育の内容、方法、評価をどうすべきとお考えでしょう?

反則的な答えですが、具体的な内容については、教育学の専門家が既に明快な解を持っていると思います。

問題は、答えがあるにもかかわらず、それを実行に移せないことにあるのだと思います。いくら専門家が「こんなにすばらしいメソッドがあるよ!」と訴えても、「え?それで東大合格者ふえるの?」と言われればそれまでだというのが現状ではないでしょうか。


>先生になんと言われようとこれからも卒業するまで先生に耳を貸さないつもりです。

過激派ですね(笑) 少なくとも耳を貸すフリはしといたほうが無難ではないかと。円満にやるのが一番ですよw


>真に社会を知っているのはサラリーマンだけですか?

そんなことはありません。誰しもが自分の経験によって歪曲された形でしか「社会」を捉えることはできていないと思います。

問題は、官僚や大学教授などと異なり、中高の教師はあらゆる種類の人々を育てる必要があるということです。理系の研究者を育てるならば、たとえ世間を知らずともその専門に秀でた人が適任でしょうが、学校の先生はそうは問屋がおろしません。ありとあらゆる職業のなかでもひときわ教師は「広く社会を知るべき職業」ではないでしょうか?


>学校の先生の中には、職に就いた時点で「先生」
と呼ばれているので、なんだか自分が偉い人になった
気分になって、生徒を、下手すると親まで見下すような輩までいます。

残念ながらいますね、そういう方は。そして私の経験に寄れば、そういう方を矯正するシステムはないので、定年までずっとそのままです。これは本当に問題だと思いますね。
  • 2009-03-04
  • G戦士
  • URL
  • 編集

[C7123]

文章を書くと分かるけども、
まず結論(目標地点)を明確にしてから書き始めないとひどい事になる。
これはあらゆる事に言える事で、まず目的をはっきりしてからじゃないと、
必要な情報、必要な行動、必要な評価もはっきりしない。
そう考えると、「成績UP」「試験突破」という明確な目標と比べ、
「生徒の人間としての成長」という曖昧な目標だと、どう教育をしていくか、
それをどういう基準で評価していくのかがいまいち分からない。

G戦士さんは、もし教育界が目的通り変わったとして、
「生徒の人間としての成長」という目標に向けて学校と言う組織をどう運営すべきか、つまり教育の内容、方法、評価をどうすべきとお考えでしょう?

[C7122] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C7121]

はじめまして。

僕は高1のときから、学校の授業を聞きませんでしたし未だに開いたことのない教科書もあります。先生に本気で切れられたことも、学年主任の先生に呼び出されて特別面談をさせらたこともあります。しかし、先生になんと言われようとこれからも卒業するまで先生に耳を貸さないつもりです。
そして、来年には絶対難関大学に受かって高校教育は改善されるべきなのだと気づかせます!!

G戦士さん、
ありがとう

  • 2009-03-04
  • ダギ
  • URL
  • 編集

[C7120]

真に社会を知っているのはサラリーマンだけですか?

[C7118]

学校の先生が、外の世界を知らないというのは、
その通りだと思います。
学校の先生の中には、職に就いた時点で「先生」
と呼ばれているので、なんだか自分が偉い人になった
気分になって、生徒を、下手すると親まで見下すような輩までいます。(極一部ですが)
  • 2009-03-04
  • 現役高校生
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

投稿フォーム

投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

 

Appendix

AD

サイト内検索

プロフィール

G戦士

Author:G戦士
昭和60年生。元京大総合人間学部生。現在はアメリカで某プロフェッショナルファームに勤務。

地方公立高校卒業後、半年間のフリーター宅浪を経て、京大に合格。その経験から得た受験勉強法を書き綴っています。
→詳しいプロフィールへ


Sub Author:シロップ
平成2年生。東大文科三類在籍。

都内私立高校後、宅浪を経て、東大に合格。現在はG戦士さんに代わり、ブログの管理の中心を担っています。
→シロップの詳しいプロフィールへ

全記事(数)表示

全タイトルを表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。