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[C5926]

サンクさん、

どうもです。訂正しておきます。
  • 2008-07-19
  • 管理人G戦士
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[C5919]

綴りがhugryになってます
  • 2008-07-18
  • サンク
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[C5641]

>>ったく最近の野郎は肝っ玉がちいせえな。俺にはないねそういうの。
ネット弁慶はどっちだか

[C5632] ■秋葉原通り魔殺人事件の犯人から学べること-その時々で自分の身の丈を知る努力をせよ!

こんにちは。秋葉原の事件がおきてからもう1週間以上を過ぎました。その間に、いろいろとあの事件や犯人像に関して報道されています。私も、前に2度ほどこの件に関してブログに掲載しています。しかし、方法論のようなものばかり掲載していていました。しかし、具体的にどうすれば良いのかという私の意見は掲載していませんでした。私はこれに関して、私の思うその中身を私の言葉で、私の考えを再度掲載しました。そうでなければ、秋葉原の件を掲載した、責任を果たしたとはいえない気がしていました。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

[C5631]

昔は良かったって私がおばさんになってたらいうのかな?

現代を評価すると多くは批判し昔は良かったという意見との対比をのべる。


うんざりだ。比べてどうなる。


やっぱり安倍前総理の再チャレンジ制だけは可決させるべきだったんだ。

マスコミめ…
  • 2008-06-20
  • やっぱり昔がいいのか
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[C5630]

確かに社会的弱者でしょうね、加藤は。
許されることでは断じてない!

しかし、こういう風になったのはどうしてなの?
社会的弱者が希望を持てないのが一因なのでは?
その為にどうすれば?
まずは、自分自身に希望を持とう!

という記事なのでは。
弱者を笑うことは簡単です。
でも、逆の立場になったら笑えないですよ。
泥沼だってあるし、落とし穴だってある。
いつ弱者という立場になるのか。
気付いたらそうだった。
そんなケースも多いのでは?

最近、自己責任という言葉が蔓延しつつありますね。
あまりに自己責任の幅を広げすぎると、殺伐とした世の中になってしまう。
駄目な人もいるんです、素晴らしい部分ばかりの人だけじゃないんです。
誰しも致命的でなければ、駄目な部分があっていい(だからといって、人に迷惑かけても駄目だからいいんだってことにはなりませんが。)

それを認めて下らない所で差をつけなければ、多少は格差への不満が緩和すると思っています。(商売はむしろ差をつけて付加価値をつけていることを考えると、経済が発展するということは、格差、差別も発展していくんでしょうね。)

その為に社会で必要なこと、周りにいる個人の個性を認め合う事、格差を知る事。

そして、G戦士さんの言うように個人では希望を見出すこと。
その方法の一つに書いてありますようにこの受験勉強法blogさんが役に立つと自分も思います。

努力して、自分の行きたい場所を目指す。
どうしても届かないなら、見合った所にする。
限界を見つけるために努力があると思います。
努力すれば、限界を越せるとは思いません。
限界を感じた人はそこでもいいんですよ。

未来の為に今少し一緒に頑張りましょう。

で、格差ですが
自分に対して正しく見合った所を見つける。
ひいてはこれが弱者が探すべき所であり、希望だと自分は考えています。
そして、その生き方を決して社会が笑う風潮にしてはならないとも。

ただ、最終的な場所(=安定した仕事)はあっても、そこにいる理由が仕事、特に派遣にも薄れているものじゃないかなと感じています。

天窓の少年については本人の危機管理が足らなかったな、と思いました。
しかし、一つの命に対しご冥福を祈るばかりです。

長文失礼致しました、何かと自分に感じ入る所がありましたので。
  • 2008-06-20
  • いつのまにやら弱者
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[C5629]

雨宮氏は「彼は追い詰められていた」っていってるけど、俺はそうは思わない。仮に1000歩譲って追い詰められていたとしても、そんなことごときでナイフ持たれちゃ困るでしょ?

社会的弱者というより精神的弱者、人間的弱者でしょ。
自分は頭がいい、周りの人間よりも頭がいい、この会社は気に食わん、やめてやる。
まぁこんな感じの野郎だと思う。

見えてくるのは、日本人に多い、自分の主張をしていない人間ということ。言ったら○○されるし、みたいなあれがあんだろ。ったく最近の野郎は肝っ玉がちいせえな。俺にはないねそういうの。
突出しないように気をつけてるんだろ?日本人って。
KYとか流行ったもんな。
ステイスタンダードだな。標準であれ。出る杭は打たれる。

まぁ今日本はこんな国ですってことを胸張って認識すべきだ。いってみりゃ、最近、多くの若者が犯人と同じ一面持ってるんだからさ!

忍耐・協力・・・じゃなかった、
押し殺し・黙認・もたれあいの社会だもんな。
未来は明るい。

そいいや最近、天窓から小学生が落ちたとか言う事件には笑った。
あんな球体の天窓に登ること自体あほだからな。
割れそうだという"感覚"ないのかな??
痛そうだ苦しそうだという"感覚"もないやつが増えてくるような気がするわ。

でもまあなるようになるよ。
  • 2008-06-20
  • 団塊は台湾じゃなくて尖閣諸島へ池
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秋葉原事件に思うこと ――希望ある未来が見えない若者たち

 6月8日、オタク文化の中心地である東京、秋葉原で事件が起きた。死者7人を出した無差別殺傷事件である。

 テレビのニュースで事件を知った私は何とも形容しがたい不快感に苛まれた。それは異常者がすぐ隣にいるかもしれないという恐怖のような単純なものではなかった。自分でも一体何故こんな感覚を覚えるのか全く分からなかった。
 しかしこの不快感の理由はすぐに明らかになった。批評家の東浩紀の、「第一印象は「ついに起きたか」だった」という感想(朝日新聞社)を見た瞬間、私は、この発言を、全く自然なものとして受け取っている自分に気づいた。そう、私は事件に全く驚いていなかった。むしろ、ずっと避けてきたものから遂に目を逸らすことはできなくなったことに倦怠感を抱いていたのだ。

 作家の雨宮処凛は、「この事件を起こした犯人が、日研総業からトヨタ系の自動車工場に派遣される派遣労働者だと知った時、身体中から力が抜けるような気がした。とうとうこういう事件が起きてしまったか、と。」と述べた。容疑者はいわゆる「負け組」と呼ばれるような25歳の若者、職を転々とし、その日暮らしを続ける派遣労働者だった。雨宮は、「希望が持てない働き方、低賃金、不安定、そして近い未来への不安と日々の不満とリストラの恐怖。派遣労働は「絶望」を産み、その絶望は、秋葉原で爆発した。」と事件の真の原因を訴えている。

 確かに、雨宮の意見(講談社現代新書カフェより引用)には説得力がある。今、日本の働く人の三人に一人は非正規労働者である。それも、彼らの多くは「夢」や「今の楽しみ」のために自ら選んで非正規労働者になっていない。いやおうなく選ばされているのだ。フリーターやニートなどといったカタカナで誤魔化してはならない現実である。先述した雨宮処凛など、このいわゆる格差社会を批判する論者は数多い。容疑者に共感したという若者がいたという事実も、本主張を後押ししている。

 しかし私が思うに、この格差社会の問題の本質は、給料や労働環境といった「現実的要素」にはない。私もかつてはパラサイトフリーターだったからよく分かる。フリーターのような社会的弱者というのは、何か合理的な理由があってつらいと感じるのではない。それこそ社会人より遥かに遊んでいるし、親が健在であればもしかしたら金銭面の余裕も社会人よりあるかもしれない。
 真の問題は、「現在」ではなく、「未来」にある。若者が希望ある未来を構想できないこと、今目の前にある現実に常に暗い影がつきまとうこと、そこにこそ苦悩の本源があるのではないか。


 社会学者の大澤真幸は、次の二つの映画――日本で大ヒットした「ALWAYS 三丁目の夕日」と、カンヌ国際映画祭パルムドール大賞を受賞した「ある子ども」――を比較して、現代社会の問題を浮き彫りにしている。なお、どちらの映画も社会階層の底辺に属する者が主人公である。
 ALWAYSの主要登場人物は、売れない小説家や小さな町工場の家族、ストリップ場の踊り子……どう見ても「負け組」であろう。そして彼らはエンディングにおいても「負け組」のままである。売れない小説家は芥川賞をとりのがすし、町工場もちっぽけなままである。しかし不思議と我々はこの映画に「絶望」を感じない。生き生きとしたキャラクターの生活に、私達は「希望」を感じ、「いい時代だった」と懐かしみさえする。
 一方、「ある子ども」の場合はどうだろうか? 主人公はブリュノ20歳と、ソニア18歳。ふたりはソニアのアパートで暮らしている。細かいエピソードは飛ばすとして、ブリュノはあろうことかソニアに黙って自分の子どもを売ってしまう。怒ったソニアのためにブリュノは子どもを何とか取り戻す。ソニアはそんなブリュノを許し、ハッピーエンド(?)で映画は終わる。……我々は映画前編を通じて何の希望も見出すことができない。ブリュノとソニアがある意味ハッピーエンドに終わったとしても、それに何の価値も感じることができないのだ。

 この二つの映画を根本的に違うものに――ひとつは希望を感じさせる古きよき日本に、ひとつは絶望しかない現代へと――分かつのは、未来への視点である。ALWAYSを視聴する我々は、いまだ何の救済もないにもかかわらず、彼らに「希望ある未来」が訪れることを半ば確信している(しかし重要なことにその未来にいるのは絶望多き現代に生きる私達自身なのだ)。一方、「ある子ども」のブリュノとソニアに、我々は何らかの「希望ある未来」が訪れるとはどうしても思えない。言い換えれば、彼らの未来を如何に構想しようと、どうしても希望あるものにならない。

 秋葉原事件の原因も、私には、この「ある子ども」におけるような絶望に関係しているように思えてならない。派遣労働者のような存在は昔からいた。また格差の程度を表す指標を計測すると、日本が他国と比べて決して格差が大きいとは決していえない。繰り返すが、私は、真の問題は、彼らが「希望ある未来」を全く構想できていないことにあると思う。
 「フリーターを35歳まで続けた後に何が待っているのか」「今の仕事が未来につながってゆくのか」「いつ首になるか分からない。そして首になったらおしまいだ」……特に食に困っているわけでもない。仕事がないわけでもない。ある程度遊んでもいる。けれども、どうしても現実を楽しむことができない。希望が見えないために。……


 さて、結局私が皆さんに何を伝えたかったのかといえば、「希望ある未来に向かっていってほしい」ということである。受験時代に必ず抱く思いが、「なぜ勉強しなければならないのか」というものである。頭が良い生徒ほどこう思ったことがあると思う。結論から言えば、論理的な理由などない。少なくとも私は未だかつて勉強や成長に明確な理由があるなどと感じたことがない。ではフリーターであった私は何故勉強したのか? 何故血がにじむような努力をしたのか?
 それは、勉強をしなかったその先に、つまりフリーターとして生きている未来に、どうしても「希望」を感じることができなかったからである。私も人間だから、勉強しているより遊んでいるほうが断然好きだ。フリーター生活自体に特に不満があったわけでもない。ただ直感的に「この現実から抜け出したい。希望ある未来が感じられない、ただ漫然と遊んでいるだけの現実から抜け出したい」と思い、そして京大に合格したその先に何か希望がある未来が待っていると、少なくとも常に未来へ向かって懸命に生きている自分がいると信じただけなのである。

 やはり最後はどうしてもこの言葉で終わらねばなるまい。合格体験記の最後に引用したSteveJobsの言葉である。

Stay hungry. Stay foolish.

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サンクさん、

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  • 2008-07-19
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綴りがhugryになってます
  • 2008-07-18
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>>ったく最近の野郎は肝っ玉がちいせえな。俺にはないねそういうの。
ネット弁慶はどっちだか

[C5632] ■秋葉原通り魔殺人事件の犯人から学べること-その時々で自分の身の丈を知る努力をせよ!

こんにちは。秋葉原の事件がおきてからもう1週間以上を過ぎました。その間に、いろいろとあの事件や犯人像に関して報道されています。私も、前に2度ほどこの件に関してブログに掲載しています。しかし、方法論のようなものばかり掲載していていました。しかし、具体的にどうすれば良いのかという私の意見は掲載していませんでした。私はこれに関して、私の思うその中身を私の言葉で、私の考えを再度掲載しました。そうでなければ、秋葉原の件を掲載した、責任を果たしたとはいえない気がしていました。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

[C5631]

昔は良かったって私がおばさんになってたらいうのかな?

現代を評価すると多くは批判し昔は良かったという意見との対比をのべる。


うんざりだ。比べてどうなる。


やっぱり安倍前総理の再チャレンジ制だけは可決させるべきだったんだ。

マスコミめ…
  • 2008-06-20
  • やっぱり昔がいいのか
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確かに社会的弱者でしょうね、加藤は。
許されることでは断じてない!

しかし、こういう風になったのはどうしてなの?
社会的弱者が希望を持てないのが一因なのでは?
その為にどうすれば?
まずは、自分自身に希望を持とう!

という記事なのでは。
弱者を笑うことは簡単です。
でも、逆の立場になったら笑えないですよ。
泥沼だってあるし、落とし穴だってある。
いつ弱者という立場になるのか。
気付いたらそうだった。
そんなケースも多いのでは?

最近、自己責任という言葉が蔓延しつつありますね。
あまりに自己責任の幅を広げすぎると、殺伐とした世の中になってしまう。
駄目な人もいるんです、素晴らしい部分ばかりの人だけじゃないんです。
誰しも致命的でなければ、駄目な部分があっていい(だからといって、人に迷惑かけても駄目だからいいんだってことにはなりませんが。)

それを認めて下らない所で差をつけなければ、多少は格差への不満が緩和すると思っています。(商売はむしろ差をつけて付加価値をつけていることを考えると、経済が発展するということは、格差、差別も発展していくんでしょうね。)

その為に社会で必要なこと、周りにいる個人の個性を認め合う事、格差を知る事。

そして、G戦士さんの言うように個人では希望を見出すこと。
その方法の一つに書いてありますようにこの受験勉強法blogさんが役に立つと自分も思います。

努力して、自分の行きたい場所を目指す。
どうしても届かないなら、見合った所にする。
限界を見つけるために努力があると思います。
努力すれば、限界を越せるとは思いません。
限界を感じた人はそこでもいいんですよ。

未来の為に今少し一緒に頑張りましょう。

で、格差ですが
自分に対して正しく見合った所を見つける。
ひいてはこれが弱者が探すべき所であり、希望だと自分は考えています。
そして、その生き方を決して社会が笑う風潮にしてはならないとも。

ただ、最終的な場所(=安定した仕事)はあっても、そこにいる理由が仕事、特に派遣にも薄れているものじゃないかなと感じています。

天窓の少年については本人の危機管理が足らなかったな、と思いました。
しかし、一つの命に対しご冥福を祈るばかりです。

長文失礼致しました、何かと自分に感じ入る所がありましたので。
  • 2008-06-20
  • いつのまにやら弱者
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雨宮氏は「彼は追い詰められていた」っていってるけど、俺はそうは思わない。仮に1000歩譲って追い詰められていたとしても、そんなことごときでナイフ持たれちゃ困るでしょ?

社会的弱者というより精神的弱者、人間的弱者でしょ。
自分は頭がいい、周りの人間よりも頭がいい、この会社は気に食わん、やめてやる。
まぁこんな感じの野郎だと思う。

見えてくるのは、日本人に多い、自分の主張をしていない人間ということ。言ったら○○されるし、みたいなあれがあんだろ。ったく最近の野郎は肝っ玉がちいせえな。俺にはないねそういうの。
突出しないように気をつけてるんだろ?日本人って。
KYとか流行ったもんな。
ステイスタンダードだな。標準であれ。出る杭は打たれる。

まぁ今日本はこんな国ですってことを胸張って認識すべきだ。いってみりゃ、最近、多くの若者が犯人と同じ一面持ってるんだからさ!

忍耐・協力・・・じゃなかった、
押し殺し・黙認・もたれあいの社会だもんな。
未来は明るい。

そいいや最近、天窓から小学生が落ちたとか言う事件には笑った。
あんな球体の天窓に登ること自体あほだからな。
割れそうだという"感覚"ないのかな??
痛そうだ苦しそうだという"感覚"もないやつが増えてくるような気がするわ。

でもまあなるようになるよ。
  • 2008-06-20
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G戦士

Author:G戦士
昭和60年生。元京大総合人間学部生。現在はアメリカで某プロフェッショナルファームに勤務。

地方公立高校卒業後、半年間のフリーター宅浪を経て、京大に合格。その経験から得た受験勉強法を書き綴っています。
→詳しいプロフィールへ


Sub Author:シロップ
平成2年生。東大文科三類在籍。

都内私立高校後、宅浪を経て、東大に合格。現在はG戦士さんに代わり、ブログの管理の中心を担っています。
→シロップの詳しいプロフィールへ

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