私は受験勉強を開始するにあたって綿密な計画を作成した。「7:00~8:30は英語をして、10分休憩した後に8:40~10:10は数学をする。そのあとは…」といったような感じだ。一見して、無駄な時間が全くない、完璧な計画に思えた。しかし、結果は散々だった。初日さえ計画通りにはいかなかったのだ。
そして一度計画通りにいかなくなるともう終わりだ。結局は計画したものとは全く違う一日を過ごす羽目になり、その翌日もそのまた翌日も妥協しつづけ、ついには計画自体を無視するようになってしまった。
我々は計画を立てるときに「理想」に走ってしまいがちだ。それまで1日1時間さえ勉強していなかった人がいきなり毎日3,4時間も勉強する計画を立てても実行するのは不可能に近い。
そして繰り返すが、一回計画が崩れると終わりだ。ヤル気が一気にうせてしまう。一番ヤル気だったのは計画を作っているときという皮肉な結果に終わってしまうだろう。
□「量」のマジック
「時間」での失敗を反省した私は、「量」で計画を立てることにした。「一ヶ月間でこの単語集のここまでは完璧にする」といったような計画だ。
すると、前の失敗がまるでウソだったかのように、計画に沿って効率的勉強ができるようになった。たとえ計画通りに行かない日があっても、すぐにその遅れを取り戻すことができた。計画が崩れてヤル気が出なくなるときは一度もなかった。
そもそも大学受験において、結果を決めるのは「何時間勉強したか」ではなく、勉強の結果として「どれだけ知識を身につけたか」である。だから、時間ではなく量で計画を立てるのは当然といえば当然だろう。
□「量」が「効率」を生む
「量」で計画した場合、我々はどういう意識で勉強しているだろうか? 時間の制約はないので、おそらく
できるだけ短時間で決められた量をこなしてさっさと勉強を終えようとする意識が出るはずだ。……結果として勉強の効率を上がるのは明らかだ。
また、量で計画した場合、多少遅れが出ても挽回が可能だ。しかし、時間で計画した場合、過ぎた時間は一生返ってこないから挽回は不可能だ。一回計画から外れたという事実は消えず、それでヤル気をなくし、いつしか計画など全く意識しない生活に戻ってしまう。そうなると、計画を立てたこと自体が無駄だったということになる。
□そもそも計画なんて守れない
しかし注意してほしい。計画は絶対ではない。というか、
普通は計画なんて守れない。
「おいおい、ちょっと待てよ」と思われたかもしれない。しかし、計画を決める段階を想像してみて欲しい。例えば、初めてやる参考書を終えるのに何時間かかるかなんて分かるはずがないではないか! 一見簡単な問題集であっても実際やりはじめたら躓くこともよくあるではないか! ……こう考えると、いかに計画がいい加減なものであるか分かるだろう。
だから、計画は
「①あくまで目安として扱い」「②常に自らの手で改善していくもの」でなければならない。
①については単純だ。最初から完璧には守れないことが分かっているのだから、計画を絶対視してはならないということだ。たとえば、あまりに緻密な計画を立てようとして時間を浪費してはならない。どうせ計画通りにはいかないのだ。
②は、①の応用だ。最初にたてた計画に縛られずに随時状況に合わせて変更していかねばならない。たとえば、単語集をやり始めて思ったより早くできそうだったら計画を前倒しするべきだし、逆に時間がかかりそうならば他の教科の時間を削る、やるべき参考書を減らす等の対策を打たねばならない。
「綿密な計画を立ててそれを遵守する」のは無理なのだ。「適当に立てた計画を、毎日磨き上げていく」という、絶え間ない努力が重要なのだ。
□「時間」は短期で利用すべし
これまで「時間」による計画をさんざん批判してきたが、使える場面がないわけではない。時間は今現在から「短期」の計画を考えるのに適している。具体的には、学校から帰る前に「今日は7:00からは英単語の勉強を一時間する!」と決めるのは非常に効果的だ。
「量」にしか意識がないと、いわゆる「怠け」がよく出てくる。長期での具体的計画はあるが、今やらねばならないような差し迫ったものではないから、ぐだぐだ過ごしてしまい結局夜11時から勉強を開始する羽目に……といった具合だ。結果として「量」による計画にさえも支障が出る。
一方、「時間」による短期計画は「今すぐそこに迫っているTASKがある」という意識につながる。分かりやすくいえば、「今やらないと駄目だ!」と自分自身を急き立てるのに向いているのだ。
時間による長期的計画は絶対に守れないので意味がないが、毎朝「今日はこんな一日にしよう!」という意識を持ち気を引き締めることも忘れてはならない。
計画をどのように立てればいいのか、いろんなことに応用できそうです!