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総合人間学部廃止 ―改革反対論に思うこと
2012/11/30 06:44

同窓会からのメールで知ったのですが、総合人間学部がなくなる可能性が出てきたそうです。背景には、教養教育の底上げのために、新しく国際高等教育院を設置することがあるようです。この国際高等教育院は、研究ではなく、教養教育を行うための組織となるため、総合人間学部は事実上廃止になるかもしれないのです。

自分の出身学部がなくなってしまうのは実に寂しいことです。実際に、「総合人間学部出身です」と言ったときに、「何ですか?その学部」と聞かれることがしばしばあるのですが、これからは「いや、既に廃部になってしまってまして」と返さなくてはならなるかもしれないと思うと、やるせない気持ちになります。また、これから自分の後輩が輩出されなくなるのだと思うと、どこか寂しくなります。

しかし、このような個人的な感情や、今回の変更によって損害を蒙る友人が多くいることを完全に忘れて、客観的な立場で考えてみると、総合人間学部と人間・環境学研究科は正直廃止したほうが良いのではないかと思っています。誠に遺憾ながら止むを得なし・・・という感覚です。

理由はいろいろありますが、根本的には、総合人間学部は学際的な研究機関として機能しておらず、今後も改善は見込めないということにつきます。
せっかく全く異なる専門を持った教授を数多く抱えているにもかかわらず、全くシナジーが生まれていません。それぞれの授業・ゼミが、各学部の専門授業の劣化版として存在しているに過ぎません。研究内容・授業/ゼミ内容を、「総合人間学部でしかできない学際的なもの」にしなければ、存在意義が問われても仕方がないと思われます。
なお、このような体たらくに陥っているのは、(1)教員・研究室にコラボレーションをする意志と能力が欠如しており、たこつぼ化(狭い専門分野に閉じた研究・授業内容を放置)していること、(2)そもそもどのような人材を育てたいのか、という明確なビジョンがないこと、が理由だと考えています。このような実態を反映してか、人間・環境学研究科の大学院生のレベルは総じて低いです。他の大学院からなめられています。
総合人間学部側が、明確な改革案を出さない限り、「既得権益者が全体最適を拒んでいる」としか受け取られなくても止むを得ないと思います。

また、同窓会メールは、「今回の改革には絶対反対!」という論調で、さまざまな方の意見が載せられていたのですが、正直極めて幼稚・感情的な主張であるように感じました。たとえば、「トップダウンは許されない/教授会の自治が侵害された/総長の独裁政治」といった主張をされていたのですが、感情の発露に過ぎず、論拠に欠けていると言わざるをえませんでした。なぜトップダウンがいけないのか? ビジネスの現場で、トップダウンでなければ組織運営が極めて非効率的になることを日々実感している卒業生にも分かりやすく説明してほしいものです。
また、自由の学風を守りたいという主張は一見聞こえが良いのですが、実際4年間過ごした者として思うのは、「そんな高尚な自由の校風は既に存在していない」ということです。自由ではなく、怠惰こそが京都大学を形容するにふさわしい言葉です。

ネットに出ている反対意見にも賛成できるものではありませんでした。例えば、岡教授(個人的にも知っている人ですが)は、以下のように言います。

「グローバルな人材育成」などが多く語られる現状について、「ネイティブスピーカーに習って英語ペラペラなだけの、単にビジネスに役立つ人物を作ろうとしている。こんなのは本当の意味でグローバルとは言わない。別の世界の見方を学ぶのが教養であり、西洋だけやればいい話ではない」

英語ペラペラなだけ・・・「だけ」ですか? 英語ぺらぺらな「だけ」な人すら殆ど見かけませんし、英語ペラペラになるだけでも、長い時間・努力が必要です。そして、ペラペラなだけで、ビジネスだけでなく、学問にも多くの良い影響があります。総合人間学部というユートピアで温室栽培されているとそういった感覚がなくなるのかもしれませんが、各国の教授達との信頼関係の構築、最新の研究内容の交換に、「英語ペラペラはMust」です。
もちろん、言語は唯のツールであり、別の世界の見方を学ぶのが教養であるということには100%同意しますし、私が大学時代で得た最も価値あるものも、別の世界・角度から物事を捉える能力だったと確信しています。しかし、だからといって、英語ペラペラになることに注力することを否定できないと思われます。たとえるならば、小学校教育では、道徳・倫理観や規律、人間性をはぐくむことこそが最も重要だと思いますが、それでも基本的な漢字と掛け算・割り算は徹底して習得させなければならないのと同じことです。
さらに言えば、英語ペラペラになることに注力しつつ、さらに別の世界の見方を学ぶこと、両方を追いかけることが大事です(これについては岡教授も賛成だと思います)が、これを実現する上で現状の体制のほうが改革後の組織体制よりも適している理由が見当たりません。研究をしっかり行っている教授が担当しなければ別の世界の見方は学べないのでしょうか。今の低レベルな授業・ゼミ内容では、説得は困難でしょう。

なんだか久しぶりに日本語を書いたので、なんだか変な荒い文章になってしまいました。突っ込みどころ満載だなあ(笑)
ちなみに、蛇足ですが、個人的には、総長と仲の良かった国際文明学科のA先生がどういう立場にいるのか気になっています。知っている方連絡ください。

P.S. アメリカにいるうちに、日本維新の会ができたり、総選挙が行われることになっていたり、なんだか浦島太郎な気分です。帰国したときに日本がよりよい国になっていますように。。。



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